6月3日(日) 10:30~

説教題  「主イエスの信念」(マルコによる福音書2章23節~3章6節)
 信念は人が生きる上で欠かせないものです。けれども、これを大切にするあまり、かえって本来の意義を見失ってしまうことがあります。“信念”の名のもとに、どれほど人間が傷つき、命が失われたことでしょう。私たちが今抱いている信念は、誰かを“死”に追いやるものでしょうか。それとも、誰かの尊厳を回復するものでしょうか。


6月10日(日) 10:30~  
説教題  「兄弟姉妹と呼び合う」(マルコによる福音書3章20~21、31~35節)
 私たちは日々、誰かと共に生きる一方で、自分自身の人生を生きています。そして、自由で真実な心をもって生きていきたいと願っています。人は完全な孤独の中で生き続けることはできません。しかし時に、社会の価値観や集団の規範を優先して生きることがあります。「兄弟姉妹」と呼び合うところに、新しい関係、共同体が生まれます。

 

6月17日(日) 10:30~
説教題  「労働がすべて?」(マルコによる福音書4章26~29節)
 労働とは、知力や体力をとおして何かを生み出すことだと考えられています。実に、私たちの人生は、そのような労働の“果実”に囲まれていると言ってよいでしょう。しかし、労働がすべてでしょうか。人間は、この世界にあって自分で何かをつくりだす生産者なのでしょうか。そうであれば、本当の感謝や信頼の思いは育たないでしょう。

 

6月24日(日) 10:30~

説教題  「人生の荒波の中で」(マルコによる福音書4章35~41節)
 世界全体、この国全体が荒れ狂う嵐に見舞われています。そして、多くの人々が何かにすがるあてもなく、ただ漂流するしかない舟であるかのように自分を感じています。そこで問われているのは、たとえ漂流するとしても、自分がどんな舟に乗り込むのかということです。その舟は荒波と恐れとただ中でも平安を経験できる人生です。

 

礼拝はどなたにも開かれています

 

 

 

手に入れること、手放すこと

 

 「改善主義者」という言葉をご存じでしょうか。ある本によれば、この言葉が英国の女流作家によって最初につかわれたのは、今から130年前の1877年であったと言います(G.エリオット)。
“改善主義”という言葉が意味しているのは、人間の努力が正しい方向へと向けられるとき、社会は進歩するであろうという考えです。確かに、この考え方は、何かを獲得することを成長のしるしと見なす社会では妥当なものと言えるでしょう。わたしたちは、悪いところや欠点を改めることでより良い自分になろうとします。何かを獲得することで成長を手に入れるとするならば、わたしたちは「失敗」や「敗北」からでも学ぶことが可能でしょう。たとえ今は完璧ではないとしても、そこに向けて最善の努力をすること自体が、わたしたちの日々を充実したものにするでしょう。
 けれども、わたしたちの人生はそればかりではありません。むしろ、何かを喪失したり、手放していかなければならないことも、わたしたちは生きる中で経験するのです。そして、もしかするとそのような経験に対して、わたしたちはこれまで顔をそむけてきたのかもしれません。
 何かを手に入れるために正しい努力がつねに求められているところでは、手放すことは考えたくもないことです。しかし、実はそこにも、人としての成長や、これまで思いもしなかった仕方で人生を深く味わうことのできる経験が隠されているのかもしれまん。

                                (牧師 藤井和弘)

 

★新着情報★

 ・6月17日(日)午後1時

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